マンガが月刊誌本流だったのが、週刊誌が出始めて、マンガ家たちは時間に追われるようになりました。マンガ制作に分業という概念が生まれたのも、この頃だったと思います。ストーリーを創る人と、それを基にマンガを描く人。それを聞いて真っ先に思い浮かべるのは、やはり梶原一騎先生(前身・高森朝雄)。川崎のぼる先生との「巨人の星」、ちばてつや先生との「あしたのジョー」など、スポ根ものというジャンルを確立した方でした。でも、僕の勝手な感想ですが、いくらストーリーテーラーが創る物語が面白くても、それをマンガに興すマンガ家のセンスと才能が無ければ、傑作は産まれないのではないかと思います。
脚本が良くても、それを撮る監督や役者が良くなければ、傑作映画は生まれないように、どんなに脚本が良くても、
実力ある役者と演出家がいなければ傑作舞台を創り上げられないように。お互いの才能と思いがぶつかり合って、時に言い争う事があろうと、対等に向き合って、お互い妥協せずに良い作品にする為にスキルを上げていく事が大事だと思います。
「あしたのジョー」のラストカットは、梶原一騎先生の案に歯向かったちば先生のアイデアだったそうです。もし言われた通り描いていたら、あのマンガ史に残る名ラストシーンは生まれなかったに違いありません。梶原一騎先生も、ハイハイと言う事だけ聞いて絵を綴る新人漫画家と組むようになってから、パワーバランスが崩れ、作品も精彩を欠き始めたような気がしてなりません。これはあくまでも個人の感想ですが。
石森章太郎、後年、石ノ森章太郎となる萬画家は、最後までオリジナルに拘り続けた作家でした。編集部の意向を組んで描いたり、「HOTEL」や「日本の歴史」「日本経済入門」のように、データー協力という形でその世界の専門知識やエピソードを参考にして書くことはあっても、完全な分業システムで描こうとしたことはありませんでした。その中で、稀有な作品として分類されるのが、この「幻魔大戦」です。しかし、所謂梶原一騎先生のような専門のマンガ原作者とは一線を期す、プロのSF小説家との共作。これ以前に、「怪傑ハリマオ」という作品もありますが、これはテレビヒーローとのコラボ作品でした。当時の少年マガジンの編集の方は、先鋭的でしたね。このコラボは、SFファンなら誰もが胸躍るような企画です。その後、先に挙げた分業システムで連載した「あしたのジョー」や「巨人の星」を生んだ編集部、うなずけます。この共作の先の感想は、また次回。