核戦争後の地球に、化け物のような生き物が多数登場します。それは、核の放射能によって突然変異した人間たちや動物。目が三つあったり、乳房が多数あったり、焼け爛れたような容姿だったり…。樹木と共存しなければならなくなった人間が、裸で樹の根元で根っこを口に加えられ、母の子宮にいる胎児のように存在する描写にも衝撃を受けました。SFといえども、核戦争後の未来をリアリティをもって描こうした結果、生々しいエグい表現が多数登場します。
当時、その描写に目を覆う読者の方もいらっしゃったでしょう。だけど、石森はどうしてもそれを描きたかったのです。どんなに批判を浴びせられようと、生々しく描写することによって、戦争や核の悲惨さを伝え、警鐘を鳴らしたかったに違いありません。連載後に、原爆の被害者の方や、公害病などの被害者の方々に考慮したような話を聞いた気がしましたが、その記憶は定かではありません。しかし、放射能や公害の影響で突然変異をしてしまった設定が、放射能の影響で現れた怪物に襲われ、そのような容姿になったように改稿されたのは事実です。
そして、奇形の描写も描き替えられ、ソフトになっています。もちろん、原爆や公害で被害にあわれた皆様の心中は察しますし、とやかく言うつもりはございません。しかし、作家が本当に伝えたかったメッセージや警鐘を曲げられてしまった事は残念でならないのです。最後の病床で、戦争のドキュメントを観ながら、かなり悲惨な映像が流れた時に、「こういう痛みの伝わるリアリティのある描写も作品には必要なんだ」と石森が言ったことを、今回、『リュウの道』と向き合ってみて思い出しました。
僕が書いた『サイボーグ009』完結編の決戦の最終章も、石森が『リュウの道』を戦争の悲惨さを伝えるためにリアルに描いた意図と同じ思いで描写しましたが、同じように多くの批判を頂きました。例え後に改稿を余儀なくされたとしても、石森が『リュウの道』を最後まで描き切り、後悔しなかったように、僕自身も全く後悔はしていません。少なくとも石森は、連載時や単行本初版時の読者には、真のメッセージは伝えたわけですから。
物語終盤で、ニッポン島と呼んでいる小さな島で、工場を稼働させながら密集して暮らしている人間たちが、新人類たちにバリアーをされ、工場から流れ出るスモッグや廃液などで死んでいく様は、増えすぎた二酸化炭素で温暖化になり、死を迎へ待つ現代の人類のようだし、核の汚染で奇形になるミュータントなどは、原発による核の恐怖や垂れ流される汚染水の問題などと直面する現代だからこそ、真っ向から鳴らしたい警鐘なのです。
およそ48年も前に書かれた『リュウの道』ですが、核戦争を引き起こしたのは、中国だと謳っています。当時は後進国だった国なのに、まるで予言をしているかのようです。だからこそ、現代を生きる人々に読んで貰いたい作品なのです。但し、改稿前のものですが…。