よく作品をドラマや映画にする場合、マンガ作品よりも、小説作品の方が創りやすいと言われています。何故なら、小説は文章で表現するため、読者が各々勝手にその人物のヴィジュアルを想像します。しかし、マンガ作品となると、既に人物のヴィジュアルは描かれておりますので、それに似せた演者をキャスティングしなければならなくなるのです。それ故に、小説作品の方が、キャスティングなど幅広く思案することが出来るためか、創りやすいと言われています。
石森作品の多くも、登場人物を見ただけで、性格やどんな人物かわかりやすいキャラクターが多いと思います。
「夜は千の目をもっている」も、その一つ。主人公が家庭教師で訪れる家の主の戦友は、一目見ただけで“悪い人”にしか見えません。悪い人だと思わせて良い人だというどんでん返しもあるとは思いますが、萬画というジャンルに一長一短があるなら、その“一長”を最大限活用しているのでしょう。そのおかげで、小説のようにまどろっこしい説明はいらずに、観客をミステリアスなムードに巻き込むことが出来ます。
しかも、その悪人にしか見えない男が訪れ、家の主に依頼する寸前まで描き、内容を明かさずに物語を進ませます。そして、クライマックスに突入する直前に、その時の会話を回想させるのです。回想を入れるタイミングは実に鮮やかで、ここでも唸りました。
作者には、特に物語創作を教えてくれる先生がいたわけではないのに、この物語創作のテクニックを若い時分に綺麗に会得しているのは、驚くほど多い読書量と映画鑑賞の趣味で覚えたのだと思います。
そして、クライマックスです。常にコマの中には、あのタイトル曲が流れています。狙撃するまでの時間を、各人物の心情を音楽をバックに、一人一人表情を追っていきます。こうなると、萬画を読んでいるというより映画を観ているような錯覚に陥るくらい、そのコマ割りと構図は唸らせます。
昭和30年代に描かれた作品だとは思えないほど、古さを感じさせません。それは、守りに入らずに、常に実験を試み続けてきた作者だからこその成果だと思います。そう思えば思うほど、僕の唸りは止む気配がありません。