「佐武と市捕り物控・隅田川物語 後編」

江戸には多数の川が流れ、水源のある地域に人は集まり、其処には大きな街が生まれます。

江戸川、荒川、多摩川、多くの一級河川が江戸の湾に向かって流れていきますが、やはり隅田川にドラマが生まれやすいのは、両国や佃町などの江戸の下町、繁華街を流れて行くから。

その川を舞台に、石森は情緒溢れるサスペンスを描き出しました。

石森は作品創作において“ムード”創りを一番にこだわります。そういう意味では江戸の世の空気感が伝わる『佐武と市捕物控』は一級品だと思います。

冒頭から、当時描かれた、江戸書物から引用した、夕暮れの江戸の全景画から始まります。

ページを開いた瞬間から、江戸時代にタイムスリップする錯覚に陥るほど、ムード創りの演出は冴えています。

“春浅い隅田の流れ…白漁業に、にぎわう江戸の町は、静かに暮れようとしていた。川面にふたつの水死体があがらなければ…”

江戸全景画とこのナレーションで、サスペンスとして、一ページ目から引き付けられるのです。

その水死体から、佃島の漁民を辿ってゆくミステリーも秀逸ではありますが、石森ならではの萬画の可能性を追求した実験に、僕は鳥肌が立つ思いで、ページを開き、読み進めました。

随所に、戯曲風に表現したセリフを散りばめてあります。それは、一コマの静止画に、互いの会話なり、言葉は詰めて読ませる手法。

100頁のつもりで構想した物語を凝縮したためにやむを得ずそうしたと、裏話を聞いた後は、

ふとそんなことを穿ってしまいましたが、仮にそうだとしても、この表現がいかに効果的かは、読んでみるときっとご理解頂けるかと思います。

後に、江戸の絵師・写楽の謎を追った「しゃらくせい」という、佐武と市捕物控の作品で、舞台戯曲にも挑戦しておりますが、

佐武と市という作品は、演劇性のあるドラマチックな風情を探求しようとしていたような気もして、

特にビックコミックで初めて連載した、この隅田川物語を読んでみると、余計にそれを実感したのです。

これは自分の感覚ですが、現代劇よりも時代劇の方が、視覚的にも実験しやすい、というより、実験したくなるジャンルのような気がします。

着物を着て、丁髷を結い、それだけでも現実から離れる風情があり、ビルに遮られることもなく、天候一つにしても、画一的な表現を拒むように、直に影響を与えやすいからです。自分の事を言えば、演劇というジャンルでも、それは当てはまり、とても演出しがいのある世界だと思います。

この『隅田川物語』も、正に、それに当てはまるような表現や手法を駆使しております。

まず、俯瞰(ふかん)のカットを意図的に、随所に挿入しています。

以前、「さんだらぼっち」という、やはり時代ものの石森作品のことを、人間目線の高さで描くことを意識していたと本人が言っていたのを

思い出しました。人情ものの作品は、極力、人の目線に近い位置で表現しようといていたのです。

それを考えると、この佐武と市捕物控は、真逆に位置する手法で、それだけドラマチックに演出したのでしょう。

そして、天候や一日の時間も、その風情を実に効果的に使用しております。例えば、最初に登場する人斬りの場面も、雨のシーンです。

現代のように人工光が溢れる世界ではなく、雨雲が天を覆うために出来る暗がりは、その降り注ぐ雨と共に、効果的な陰影を創り、その画はとてもドラマチックです。そして夜の闇―。これも、現代劇では、なかなか表現出来ないでしょう。

作者は、クライマックスに、“夜”を選びました。

しばらく、人間のシルエットのみで描きだし、ラス立ち(芸能の業界用語で、時代劇のラストの大立ち回りを略して、こう呼びます)では、逆に、べた塗りの真っ黒なバッグの絵に、人間だけを浮き上がらせ、市の刀を斬る軌道が、まるで、空を刀が過る音が聞こえてきそうなほど、明快な効果があります。

『ジュン』を始め、どの作品も、石森はコマ割りから、描写表現まで、あらゆる実験を駆使するマンガ家ですが、この『佐武と市捕物控』は特に、時代劇の特異性を効果的に使用する、驚くほどのビジュアル演出は、まさに天才マンガ家に相応しい一作に違いありません。

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