当時の萬画家は、手塚先生も含め、ディズニー作品に影響を受けている方が多く、石森もその一人。
キャラクターやタッチが、まさにそう。そして、ウオルトディズニーの実験性も同様に色濃く影響を受けているでしょう。「ファンタジア」というディズニー映画は特に心酔していて、セリフのないイメージで綴るその手法は、石森にとってバイブルのような作品だったに違いありません。日本のマンガ史で初めてその手法を試みたのも石森ではないかと思われます。もっと言えば、処女作で―。
前回ご紹介した「雨」という物語、そして、「時間を支配する人間」という物語も、その大部分でセリフを使用しない、コマの絵で綴る手法を取り入れています。この処女作での実験性はそれだけでは留まらず、その後、「佐武と市捕り物控」などで効果的に使われる、人物をシルエットに映す、陰影を使ったタッチも、自身の萬画家としての可能性を追求し、やりたい事を思う存分やってやろうという気概を感じます。
まだ高校生、失敗を恐れずに諸突猛進出来るのも、若さの特権です。とにかく、萬画を描くことが楽しくて仕方ない、そんな想いがコマから溢れてくるようです。
しかも、プロとしてのデビュー作。初めて、自身や友人、自分の姉以外の読者に読んで貰い、リアクションが有ることにも、にさぞかし感動したでしょうし、楽しかったに違いありません。
自分の好きな事や、やりたい事を思う存分に満喫して、それがまさか仕事になるとは夢にも思っていなかったでしょうが、自分の一番の趣味を謳歌しているのが、こちらにも伝わり、楽しくなってきます。
もちろん、あれもやりたいこれもやりたいと詰め込んで、粗削りになっているのは致し方ないでしょう。その後描いた、『新二級天使』という作品を読むと、プロとして活動して暫くしてから描いた作品なので、非常に洗練され、自分で築いたセオリーに添って描いているのも分かり、比べると面白いです。
そう言えば、梅沢富美男さんが言っておりましたが、まだ売れる前に石森に「悩んでいる」と相談したら、「本当の悩みは売れてから経験するんだ。何を描いても、同じような作品になり、ヒット作と比べられたり、お前の悩みなど、苦しみには入らない」と言われたそうです。きっと、その苦しみを後年経験することになるのでしょう。この処女作では、やりたい事を思う存分楽しく描いていたのに、それが出来なくなった時、1パーセントの才能に、99パーセントの努力が必要だと、心から思ったに違いありません。