「ファンタジーワールドジュン 後編」

絵だけで、詩を書いてみたい、というコンセプトだったと聞きます。
セリフは一切なく、1コマ1コマ、イメージで繋ぎ合わせていく。
これほど、評価の難しい作品、いや、言葉で評価を語るような事をしてはいけない作品もありません。
十人いれば、十人がそれぞれ違う受け取り方や感じ方をすればいいんです。分かりやすく例えるなら、絵画鑑賞に近いのかもしれません。

ゴッホの描いた「ひまわり」という絵があります。それを観て、活力を感じる方もいれば、項垂れたひまわりに寂しさを感じる人もいる。花瓶に詰め込まれたひまわりに、カオスを感じてしまう人もいるでしょう。
それに、良いとか悪いとか、曲線が甘いとか、絵の具の質が悪いとか、具体的な評価なんてどうでもいいような気がしてしまうんです。

大事なことは、それぞれ違う、人の感性や機微に、自由にその絵が触れてほしいし、受け取る側も感じることじゃないでしょうか。
「ジュン」はまさに、そんな作品。
六十年代の前衛が支持される熱き時代に、アングラ演劇のように、「わかる奴にだけ、わかればいいんだ」と大上段から振りかざす芸術ではなく、ゆったりと詩情あふれる世界に漂いながら、自分の好きなように感じて下さいと、優しく包み込むような感覚。


石森はきっと、自己満足で描いて読者を置いてけぼりにしようとしたわけではなく、詩を読んでくれる人に、絵を鑑賞する人に提供するような気持で描いていたような気がしてなりません。
その姿勢は、しっかりと受け入れられて、この作品で、小学館の漫画賞を受賞致します。
きっと多くの人が、物語のない物語に、鳥肌が立つほどの感動を覚え、それぞれ好きなように、一編一編を完結させてきたのでしょう。
それは、新しい世代を通じて、これからも永遠に続くはずです。
そう、ジュンの旅のように―。

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