シュガー佐藤:1953年、宮城県登米郡(現在の登米市)出身。『ゴトンゴトン』(グロテスク佐藤名義)が第1回小学館新人コミック大賞一般コミック部門入選。1978年、はしもといわおとの共同作品『正月休みと仲間たち』で第9回赤塚賞に準入選。近著に『マンガ日本と世界の経済入門』(漫画:石森プロ・シュガー佐藤)。本名は佐藤利夫。
シュガーさん、この夏は24時間テレビのドラマスペシャルの作画指導や監修、『マンガ日本と世界の経済入門』の作画などなど、いろいろお疲れ様でした。
シュガー佐藤(以下シュガー):あ、はい。お疲れ様でした。
ドラマ撮影はスケジュールの都合や移動もあり、しかも暑いさなかでご苦労も多かったと思いますけど、石ノ森先生のスペシャルドラマとあって…気持ちも入ったんじゃないですか?
シュガー:ええ…。でも出演者もスタッフもよくしてくれて、気持ちよくできましたね。
石ノ森先生を演じたSexy Zoneの中島健人さんともいろいろ話をされたようですね。中島さんはドラマが決まって石巻の「石ノ森萬画館」やご出身地の登米市にある先生の生家、さらに「石ノ森章太郎ふるさと記念館」にも足を運ばれたと聞きました。ところでシュガーさんは石ノ森先生と同郷の宮城県登米市のご出身ですよね。アシスタントになったきっかけは、やっぱり同郷の石ノ森先生に憧れて?
シュガー:そうですね…。子どものころからマンガを描いていて、「お前も(石ノ森先生みたいに)マンガ家になれるんじゃないか?」とおだてられたりしたのを真に受けて(笑)。
石ノ森先生とシュガーさんは15歳くらい違うんですよね。先生はそのころすでに地元の有名人だったんですね。
シュガー:親の知人に石ノ森先生ことをよく知ってる人がいて紹介してもらって…。先生は登米郡中田町石森(いしのもり)で、僕は隣の上沼という町で。自転車で5分くらいなんですけど、昔は歩いて行ったので何分くらいだったかな…。それでご両親に会って、先生に電話をしてもらって。描いてた漫画を3冊くらい持って上京して…。
それで晴れてアシスタントに…。
シュガー:いや…すぐにはなれなくて…。当時はアシスタントの空きがなくて、1年くらい先生のお知り合いがやっていたレストランでボーイ(ウェイター)とか出前とかやってました。その1年の間に『仮面ライダー』を連載してて、終わったんですよね(笑)。アルバイトの合間に描いた作品を持って遊びに行って、あ、仮面ライダー描いてる…って見てました。
それは残念でしたね(笑)。アシスタントに入られたころ先生が手がけていた作品は?
シュガー:『リュウの道』が終わったあと…『原始少年リュウ』のころだったかな…。
そのころのシュガーさんの画風ってどんな感じだったんですか?
シュガー:70年代で、田舎の暗い救いようがない感じの青春物語みたいなのを描いていて…。で、雑誌にグロテスク佐藤(当時のペンネーム)という名前は載るんだけど、なかなか賞はもらえなかったです。内容が内容だから本誌には載せられないって(笑)。同じころに弘兼憲史さんとかも暗い青春ものを描いてて、パーティーで「あなたがグロテスク佐藤さんですか!」と声をかけられたり。
石ノ森先生のアシスタントは18歳から25歳までですか?
ええ…。24歳で賞をもらって、「独立していいですか?」と聞いたら、「もう少しやってくれ」って言われて、半年から1年くらいしてから独立しました。ときどき車で先生がネームを描きに行っていた桜台駅前のラタン(※)に送るときとか、そういう話をしたり…。当時8人くらいアシスタントいましたけど、忙しい時期でしたね。『佐武と市捕物控』は終わるころでしたけど、『変身忍者 嵐』とか『馬が行く!』とか『さんだらぼっち』とか…。
※ラタン:先生が常連だった桜台駅前の喫茶店
シュガーさんが一番好きな石ノ森先生の作品は?
シュガー:個人的には一番好きなのは『佐武と市捕物控』ですね。四季折々の季節感というか、雰囲気ですね。夏なら夏のじめじめした感じとか…。
そういう意味では、季節を表す背景などはいろいろなアシスタントの方が描いていたんでしょうけれど、やっぱり石ノ森先生の世界観になっている。ということは、先生のネームの構成力でしょうか。
シュガー:そうですね。『佐武と市』は石川森彦さんが主に背景を描いていたんじゃないかな…。
当時のアシスタントの上下関係とかはどうだったんですか?
シュガー:あんまりなかったかな…。1枚を1人が手がけるやり方だったけど、簡単そうなのを選んでやってました(笑)。
当時のアシスタントの勤務時間はどんな感じだったんですか?
シュガー:時間…だいたい昼過ぎから…誰も来なければ散歩に行って戻ってきて…翌朝の5時ごろまで…上がれば先生のチェックをもらって…という感じだったかな。
これは大変だったなぁ、という思い出はありますか?
シュガー:クリスマスのとき、プレイコミックで表紙とか…『セクサドール』だったかな。入ったばっかりで、先生が入れた人物のペン以外、背景から仕上げまで一晩で15ページ全部やって。へろへろになりながら描いて、あとで「おまえの描いたやつ評判悪かったぞ」なんて(笑)。他の人はアシスタントになったばかりだと線を引いたりとかやらされていたみたいですけど、私の場合はいきなり描かされてました。
それはシュガーさんの作品を見て大丈夫だと思ったからなんでしょうね。お話うかがってると大変そうなのにシュガーさんお人柄そのままに淡々とやってた感じですね。
シュガー:いや…どうかな…いい加減だったから先生に悪かったな、と。当時自分の作品を一生懸命描いていたら、「オレのもていねいに描け」と言われたこともあるし(笑)。
ところでペンネームの「シュガー佐藤」は石ノ森先生が付けたんですよね?
シュガー:はい。先生のアシスタントをやりながらちょこちょこ描いて応募したら、小学館の賞をもらって。先生が審査員だったんですけど、内緒で応募して。それで、先生が池袋のお知り合いのお店でクリスマス兼ねた受賞記念パーティーを開いてくれたときに、そこに同席したビッグコミックの編集長から「名前を変えろ」って言われたんです。グロテスクじゃダメだと(笑)。で、先生に相談したら「考えておく」と言ってくれたんですが、ずっと待ってても何もなくて。
忘れられてたと(笑)。
シュガー:催促したら、すこし考えて…、本名が佐藤利夫で、さとうとしお、ソルティー・シュガー…それはフォークソングのグループにあったから、それじゃ「シュガー佐藤」にしろ、ということで。
先生のアシスタントやってて、あとあと「よかったな」と思うことってあります?
シュガー:よかったのは…全部だと思うんですけどね。速く描けるようになったのも、先生がそうだから、速いのが当たり前で。
仕事以外で先生の思い出って何かありますか?
シュガー:ときどき映画に連れてってもらいました。銀座の映画館で、『栄光のル・マン』とか『未知との遭遇』とか…。その2本だけしか覚えてないんですけどね(笑)。アシスタントみんな引き連れて、そのあと食事して和気あいあいと。
石ノ森先生といえばペンの速さで有名ですが、原稿をイスの後ろにペラって投げて、少しでもほうっておくと次の原稿が重なってインクがくっついてアシスタントが大変…という話を以前うかがいましたが。
シュガー:ええ。ペラ〜って投げるから、床でこすって線がかすれることもあるんですけど、それは私たちがホワイト入れたりして直すんです。
それでもお構いなく投げるって…何よりペンのノリを優先してたということなんでしょうか。ちなみに先生に怒られたことはありましたか?
シュガー:ないですね…。あ、そういえば、先生がカエルを描いて、おなかのまん中に×がついてたので、ベタかなーと思って黒く塗りつぶしたら、それはヘソだ!と怒られて(笑)。でも、先生はまわりの誰にも怒るようなことはなかったですね。
でもシュガーさん石ノ森先生に特別気に入られていたんではないですか? 引き継がれた作品も多いですし。
シュガー:どうなんですかね? でも独立するとき「永井(豪先生)は入ったころからお前くらいうまかったぞ」と言われました(笑)。
石ノ森先生の伝記(ポプラ社「コミック版 世界の伝記シリーズ 石ノ森章太郎」)も描かれています。やはり大変でした?
シュガー:ええ、難しかったです。編集の人にいろいろ資料も集めてもらったりしながら進めたんですけど、ネームの段階から直しもけっこう入って…。
そして石ノ森先生のライフワークである『サイボーグ009』の完結編のコミカライズも手がけられるわけですけど。
シュガー:石森プロの早瀬さんと作画チームと一緒に作業しました。途中で先生の構想ノートを見せてもらったんですけど、あんまりよくわからなくて(笑)。小野寺丈さんのシナリオを読んでネームにしていく…という流れでした。
石ノ森先生と長い時間すごされたわけですが、何か先生の仕草とか、思い出すことはありますか?
シュガー:原稿チェックしてもらうとき、ペンを裏返しにして細い線を引いたりとか…。ああ、こういう使い方できるんだ、と学んだり。先生、教えてくれないんで見て覚えて。サササッとペンを動かして、はみ出ても気にしないで…。
はみ出た部分を消すのはシュガーさんたちの仕事で(笑)。でも、その自由なペンさばきが独特のタッチを生んだし、膨大な量の仕事をこなすスピードにつながったんですね。
シュガー:そうですね。私がいたときも週刊誌2〜3本と月刊誌もやってたから…。
ことしの夏の24時間テレビドラマスペシャル『ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語』の話を最初に聞いたときはどうでした? 暑いさなかに何度も立ち会われて大変だったと思うんですが。
いや、でも前にも『トキワ荘の青春』(市川準監督)とか『知ってるつもり?!』(日本テレビ)あったんで。手元やペン先の動きを撮るときとか。
今回も主演のSexy Zone中島健人さんに指導されたんですよね。どんな指導を?
シュガー:ペンの使い方ですかね。立てれば細い線、寝かせれば太めの線…とか。あと、立てて使えばカリカリ音がするから…とか。
飲み込みはどうでした?
シュガー:彼、自分でもマンガ描いてたんですよね。小学生くらいのときに。おじいさんたちばかり出てくるマンガだって言ってて…。それで、マンガの話をし始めたら彼が嬉しそうに何かしゃべろうとしていたんだけど、そのときちょうど私にスタジオから声がかかってしまって…。
中島さんはおじいさんやお父さんがマンガ好きだったそうで、その影響でご自身もいくつかの石ノ森作品、とくに『サイボーグ009』をお好きで読んでくれていたそうです。ところでシュガーさんは何度くらい撮影現場に立ち会われましたか?
シュガー:10回くらいですかね…。手塚先生が旅館にカンヅメになるシーンは栃木で撮りましたね…。すごく暑い日で…。
世界一周旅行から帰ってきて赤塚先生にトランクを川に放り込まれるシーンも栃木だそうですね。
シュガー:ええ。まじめな人で、聞いてくるんですよね。「ここ、どこから描けばいいんですか?」とか。
中島さんだけでなく赤塚先生役の林遣都さんにも指導されたとか。
シュガーさんに鉛筆で下書きしてもらっていたのも助かったと聞いています。あと、実際に使う道具を持ってきてくれていたこととか。
シュガー:(撮影用に用意された)紙なんかは少し粗い感じで、カリカリと音を出しやすいように選んだみたいで。ペン先も使い古されすぎたやつで折れそうだったり(笑)。
おかげさまでドラマの評判もすごくよかったです。
シュガー:スタッフの方もよくしてくれて、プロデューサーの方が車で迎えに来てくれたり…。周囲の人も、時代考証がちゃんとしてたとか、しばらくぶりに電話よこして「お前、名前が出てたぞ」とか…。
中島さんは最後、打ち合わせをしているときにシュガーさんが帰られるところを見かけて、かなりの距離を走って追いかけてきて、笑顔で「ありがとうございました!」と握手をされたそうですね。イケメンで、爽やかで、できすぎてるだろうとスタッフも驚かれていたとか(笑)。。
シュガー:石ノ森先生のお母さん役をやられた水野真紀さんも『HOTEL』に出てたということでしたし、お姉さん役の木村文乃さんもかわいらしくて。本当に和気あいあいとした感じでした。
石ノ森先生が約30年前に手がけられた『マンガ日本経済入門』の系譜とも言える『マンガ日本と世界の経済入門』が、今秋発売されました。制作にあたって、何か苦労はありましたか?
シュガー:ん…チェックに時間がかかったことですかね(笑)。あとストーリーが込み入ってたから、展開はなかなかおもしろいんだけど、描く方はこんがらがって大変で。
これもベストセラーになった『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』の作者である公認会計士・山田真哉さんの監修で、いわゆる教養マンガとはまた違ってエンターテインメントとして楽しめる作品だと思います。
シュガー:シナリオも1章ずつ受け取っていたので、どういうふうに話が進むかわからないまま描いてたのが難しかったかな…。あと現実の話だけに背景とか、資料をもとにアレンジして描いたんですけど、けっこう大変でした。
読者の評判もけっこういいようです。学生や若手のビジネスマンだけでなく、ベテランでも今の経済をニュースだけで整理して理解するのは難しいから勉強になった…という感想もあるそうです。もし続編があったら、ぜひ今回未登場の石ノ森キャラも出して盛り上げてください。
シュガー:ハインリヒやグレート、ピュンマあたりをモチーフにしたキャラクターも出したいですね。
取材・構成:丸尾宏明