「トキワ荘物語」前編

マンガ好きな方には、最も有名なアパート名でしょう。マンガに精通していなくても、この名前を一度は耳にしたことがあるかと思います。 手塚先生がこのアパートで仕事をしていたので、編集の方がマンガ家の卵たちが田舎から上京する度に此処を紹介した事から、 若手マンガ家達が集い暮らすようになった処。 今でも練馬区など西武池袋線界隈にマンガ家の方々の住まいが多いのは、このトキワ壮の影響が少なからずあるのだと思われれます。
このトキワ壮に関しては、多くの文献があり、石森自身の作品も、このトキワ荘時代のことを綴った作品は多数存在します。 近くにいた僕から見ると、作者にとって、最も多感で、最も思い出深く、そして、辛いことも楽しい事も山のように詰まった、 思い出のアルバムや大事にしまったおもちゃ箱のような場所であり、時間だったんじゃないかと思うのです。 所帯を持ってからは、仕事、仕事、仕事、もちろん其処にも楽しい事もあったでしょうが、生活の九割方は仕事に費やしているような印象を 受けていたので、もし「青春」と呼べる時間があったなら、それはトキワ壮での数年を指してもいいのではないかと思っていました。
もちろんマンガを描くことが大好きな人たちが集まったわけですが、恐らく、そこにいる誰もが、生涯の職業として、マンガ家を続けていけるか どうかの確信はなかったはずです。
どちらかというと、仕事というよりバイトの感覚に近かったのかもしれません。 “ニート”という言葉は語弊があるかと思いますが、当時の大人たちが見れば、現代で言うところの、 そのような若者たちに見えなくもなかったはずです。
今、東京には役者を志して、バイトをしながら小劇場の舞台や劇団に所属している若者たちが何万人とおりますが、色々な志はあるにしても、 とりあえず好きな事を思う存分にやろうとする想いに近いような気がしてなりません。 そこには仲間がいて、遊びがあり、助け合って、競争して、マンガの事を議論して、苦しくもあり楽しくもあり、若さゆえに何もかも眩く キラキラと輝く毎日、正に青春の日々だったと思います。
自分も経験がありますが、果たしてここまで濃密で掛け替えのない日々であったかどうか自問してしまうほど、
トキワ壮時代の文献に触れれば触れるほど、羨ましく思うのです。

この作品を発表した雑誌の記憶は定かではないのですが、要するに、トキワ壮に所縁のあるマンガ家の皆様がリレーでトキワ荘の思い出を綴る、 読切連載のような形式だったかと思います。 確か、手塚先生を始め、皆様ご健在でしたので、本当にトキワ荘出身マンガ家のオールスター競作だったのです。 それを、小学生か中学生だった自分もワクワクしながら読んだ覚えがあります。 各マンガ家の方々の、トキワ荘に対する想いがそれぞれ吹き出して、一つの場所の物語を、幾つもの視点で描かかれているというわけで、 考えたら凄く貴重な企画ですよね。 それぞれのマンガ家の方々が、こんな風に感じていたのかとか、同じことでも、視点が変わると、こんな描写になるのかと、 毎回、ワクワクしておりました。 だいたいのマンガ家の方が、それこそ私小説風に捉えて描かれていたのですが、石森だけは一切セリフのない、 所謂、「ファンタジーワールド・ジュン」で試みた、イメージで繋ぎ合わせていく手法で描いておりました。 子供心にも、この人は他とは違う萬画家なのだと、改めて、尊敬の念を抱いたことを覚えています。
まさに、石森イズム。一人の萬画家の凄さと才能と実験性に、いい意味で打ちのめされました。 作者自身が、トキワ荘の廊下から部屋に入るドアを開けると、上京してきた機関車のアップになります。物言わずとも、ここまでのコマで、 上京時からの回想を読者に渡してくれるのです。 学生服の作者が、荷物を前に、部屋にポツッといるショットから、廊下に出て、共同の炊事場でお湯を沸かし、持って帰ると、 今度は燦々と輝く太陽が見え、高熱でうなされている作者を、皆で原稿を書いて助けているカットとなります。 夏の暑さと南京虫の被害、同人誌「墨汁一滴」のメンバーと、トキワ壮のメンバー、そして吹雪く冬の寒さを経験して、廊下には、 今までいたトキワ荘の住人たちが背中を向け去って行くカットを入れてきます。最後までトキワ壮に残っていた作者の寂しさが手に取るように 伝わってきました。その当時の作者が、廃墟のようになったトキワ荘を後にする絵で終わります。
トキワ荘の成枯盛衰を短いページで、イメージの絵だけで繋ぎ合わせた作品ですが、喜び、楽しさ、苦しさ、寂しさを全て伝えてくれるのです。 これはトキワ荘の栄枯盛衰を描ているわけではなく、作者の青春の始まりから終わりまでを描いているのではないかと感じたら、 自然と涙が零れ落ちました。