はじめに

『その人』は、僕が子供の頃から、決して子ども扱いせず、一人の人間として向き合い、何かあれば話を聞いてもらい、真摯に語りかけてくれました。僕が夢を描き、目指そうとする道に対しては一切反対をしませんでした。僕の少年時代に『その人』が一年に一度ほどの頻度で、言い続けてくれた言葉があります。「自分のやりたい事があれば、やりなさい。自分の好きな道を選びなさい。決して反対しないから―。ただ、その代わり、必ず自分で責任を取りなさい。大学までは面倒をみよう。だけど、大学を出たら、必ず一人で生きていきなさい」

僕自身、小二の頃、将来は役者になりたいと決めていました。友達と組んで出し物を発表する「お楽しみ会」で10分程度のコントだか芝居だか分からない台本を書き下ろし、演出めいたことをし、出演をしたものが大受けで、こんな楽しいことはないと、それで志しました。

将来何になりたいか、『その人』に聞かれ、正直に答えた僕に、チャップリンのビデオを即座に観せてくれたのです。「役者になるなら、作品も創って出演するチャップリンのようになりなさい」僕の人生を決定づけた一言でしたー。

それは、大学に入学する直前の春のことです。『その人』は自室に僕を連れて行き、こう言いました。「本当に役者になりたいのか?」僕は黙って頷きます。「自分が納得出来る人生を送れるまで、俺の名前を出さずに頑張りなさい」僕が子供の頃から、『その人』が言っている事は一貫し、全くぶれておりません。一人で生きるんだと何度も念を押され、まるで獅子の子落としのように、自分の力で這い上がれと言わんばかりの言葉でした。

『その人』はもう二十年近く前に他界し、それは僕にとっての遺言となりました。当然、自分は、これまで自分の人生に納得しているかと問われれば、NOとしか言えません。心の何処かで、『その人』の背中を追っているからでしょう。世界中の人間に認められている人に、少しでも近づきたいと、それは今でも思い、思うたびにジレンマで押しつぶされそうになります。でも逆に言えば、ここまで精進を繰り返し懸命に生きてこられたのも、その悔しさがバネとなっていたからに違いありません。

僕と『その人』の関係を一言で言うのは容易でしょう。だけど、その人と交わした約束を、僕はどうしてもこだわっていきたい。他人から見れば滑稽に映るかもしれませんが、これが僕にとってアイデンティティであり、大変に根深いソレなのです。

今回このような機会を頂き、読者の方には、一つだけ、お願いと言いますか、ご理解頂きたい事がございます。僕と『その人』の関係を分かっていたとしても、その部分だけ取り立ててクローズアップすることを決してなさらないようにして頂けましたら幸いです。僕が自分の人生に納得するその日まで、どうかソウっと温かく見守って頂きたいのです。

僕はこの企画意図通り、どうしても一人の自立した表現者、創作者として、『その人』や『作品』を語りたい。僕が子供の頃から、『その人』は僕を一人の人格ある人間として扱ってくれたように―。

『その人』の作品を論じると言っても、作品論評は世の中にごまんと語り尽くされていますし、今更、大上段に構えて論じたいとも思いません。それならば、作品を通じて、僕なりに感じたこと、その時のその人の事、僕しか知りえない事などを勝手気ままに書かせて貰えないかとお願いしたところ、そのほうが面白いと同意して頂きました。だから皆様も、評論だとは思わないで下さいね。これは、僕が好き勝手に書き綴るエッセーです。

そして、書き始めるにあたり、自分で一つだけルールを作りました。それは『その人』の呼称のことです。そう言えば、サイボーグ009の完結編を書かせて頂いた時、あとがきや取材時に、僕はその人を一貫して『作者』と呼んでいたのですが、これも『その人』の遺言となった言葉を守るためでした。

今回、僕は、その人をペンネームの苗字で呼ぼうと思います。途中で「ノ」が入ったので、その作品の描かれた年代によって、「ノ」を入れたり入れなかったり―。その作品が作者の前期のものか、後期のものか、名前で分かるようにしたいと思っています。

さあ、次回からいよいよ書き始めますが、どうなることやら…。僕は、『その人』を世界で最も敬愛し、影響を受け、そして、最も近くにいたと自負しております。俳優という表現者として、劇作家・演出家・プロデューサーという創作者として、自分が感じたことを気ままに綴り始めようと思います。
『僕が見ていた石ノ森章太郎を―。』