2017年12月より、連載コラム「僕が見ていた石ノ森章太郎」がスタートします!石ノ森章太郎の影響を日本一受けた男と言っても過言でない、俳優・劇作家・演出家・プロデューサーである小野寺丈が「石ノ森章太郎作品」について、自身の視点から感じたことを綴っていく連載コラムがスタートします。コラムには、当時のエピソードなども描いてありますので、他では見ることのできないオリジナルコラムになると思います。今回「ISHIMORI MAGAZINE 02」では、「はじめに」と題して、連載コラムをスタートする思いを語ってくれました。連載コラムは、このホームページ上で随時配信していく予定です。乞うご期待!

小野寺 丈 プロフィール

俳優として、15歳から初舞台を踏み、梅沢武生、梅沢富美男、浜木綿子、藤田まこと、左とん平、渡瀬恒彦など、多くの先輩俳優に師事し、影響を受け修行も積む。現在、シリアスも演じられる個性派の喜劇俳優として認められている。他に、三遊亭圓窓に師事し、「三流亭舞大」という名前を貰い、高座経験も持つ落語の腕前はセミプロと評されるほど。その落語も披露し、連作短編集の構成で演じる 自身のひとり芝居は、その構成の妙と数名を演じ分ける 演者としての幅の広さに、高い評価を得ている。

20歳で旗揚げし、途中10年間の充電期間はあるものの、プロデュースユニット JOE Companyの演劇活動は、ライフワークとして現在も継続中である。

演劇プロデューサーとしての評価もさることながら、脚本、演出をし創作する その作品は、SF、ファンタジー、コメディ、ミステリー、サスペンス、ラブストーリーとジャンルにとらわれない、自身にしか描けない作風。

何処にでもある日常に、非日常が絡むユニークな発想に引き込まれ、喜劇性豊かなストーリーに笑い、人間が持つ普遍的なテーマに感動し、緻密に練りこまれた構成と大胆な演出で表現される独自の世界に熱中するフリークが急増中。創作者としての評価も、作品を発表する度に登りつめている。

はじめに

回の企画は、「『その人』の作品を知らない人にも、その素晴らしさを伝えていきたいと思っています」そういう言葉からはじまりました。『その人』にとても影響を受けている、表現者かクリエイターの方に、『その人』の作品の良さを論じるコラムの連載を企画しましたが、色々と候補を挙げてみても、丈さん以外の適任者は見当たらなかったんです。いち表現者として、いちクリエイターとして、作品を論じると言うのであるならば、是非お引き受けしたいと思いました。

は云うものの、それは僕にとって、パンドラの箱を開けるような、大変な作業になるに違いないのです。それは、『その人』から貰った言葉によって、とても根深い思いがあるからです。僕にとって『その人』は、世界中のどの誰よりも尊敬をし、心から愛し、人間としても創作者としても、僕にとって一番の恩師でもあり、そして、かつて最も身近にいた人でもあります。

『その人』は、僕が子供の頃から、決して子ども扱いせず、一人の人間として向き合い、何かあれば話を聞いてもらい、真摯に語りかけてくれました。僕が夢を描き、目指そうとする道に対しては一切反対をしませんでした。僕の少年時代に『その人』が一年に一度ほどの頻度で、言い続けてくれた言葉があります。「自分のやりたい事があれば、やりなさい。自分の好きな道を選びなさい。決して反対しないから―。ただ、その代わり、必ず自分で責任を取りなさい。大学までは面倒をみよう。だけど、大学を出たら、必ず一人で生きていきなさい」

自身、小二の頃、将来は役者になりたいと決めていました。友達と組んで出し物を発表する「お楽しみ会」で10分程度のコントだか芝居だか分からない台本を書き下ろし、演出めいたことをし、出演をしたものが大受けで、こんな楽しいことはないと、それで志しました。

来何になりたいか、『その人』に聞かれ、正直に答えた僕に、チャップリンのビデオを即座に観せてくれたのです。「役者になるなら、作品も創って出演するチャップリンのようになりなさい」僕の人生を決定づけた一言でしたー。

れは、大学に入学する直前の春のことです。『その人』は自室に僕を連れて行き、こう言いました。「本当に役者になりたいのか?」僕は黙って頷きます。「自分が納得出来る人生を送れるまで、俺の名前を出さずに頑張りなさい」僕が子供の頃から、『その人』が言っている事は一貫し、全くぶれておりません。一人で生きるんだと何度も念を押され、まるで獅子の子落としのように、自分の力で這い上がれと言わんばかりの言葉でした。

『その人』はもう二十年近く前に他界し、それは僕にとっての遺言となりました。当然、自分は、これまで自分の人生に納得しているかと問われれば、NOとしか言えません。心の何処かで、『その人』の背中を追っているからでしょう。世界中の人間に認められている人に、少しでも近づきたいと、それは今でも思い、思うたびにジレンマで押しつぶされそうになります。でも逆に言えば、ここまで精進を繰り返し懸命に生きてこられたのも、その悔しさがバネとなっていたからに違いありません。

と『その人』の関係を一言で言うのは容易でしょう。だけど、その人と交わした約束を、僕はどうしてもこだわっていきたい。他人から見れば滑稽に映るかもしれませんが、これが僕にとってアイデンティティであり、大変に根深いソレなのです。

回このような機会を頂き、読者の方には、一つだけ、お願いと言いますか、ご理解頂きたい事がございます。僕と『その人』の関係を分かっていたとしても、その部分だけ取り立ててクローズアップすることを決してなさらないようにして頂けましたら幸いです。僕が自分の人生に納得するその日まで、どうかソウっと温かく見守って頂きたいのです。

はこの企画意図通り、どうしても一人の自立した表現者、創作者として、『その人』や『作品』を語りたい。僕が子供の頃から、『その人』は僕を一人の人格ある人間として扱ってくれたように―。

『その人』の作品を論じると言っても、作品論評は世の中にごまんと語り尽くされていますし、今更、大上段に構えて論じたいとも思いません。それならば、作品を通じて、僕なりに感じたこと、その時のその人の事、僕しか知りえない事などを勝手気ままに書かせて貰えないかとお願いしたところ、そのほうが面白いと同意して頂きました。だから皆様も、評論だとは思わないで下さいね。これは、僕が好き勝手に書き綴るエッセーです。

して、書き始めるにあたり、自分で一つだけルールを作りました。それは『その人』の呼称のことです。そう言えば、サイボーグ009の完結編を書かせて頂いた時、あとがきや取材時に、僕はその人を一貫して『作者』と呼んでいたのですが、これも『その人』の遺言となった言葉を守るためでした。

回、僕は、その人をペンネームの苗字で呼ぼうと思います。途中で「ノ」が入ったので、その作品の描かれた年代によって、「ノ」を入れたり入れなかったり―。その作品が作者の前期のものか、後期のものか、名前で分かるようにしたいと思っています。

あ、次回からいよいよ書き始めますが、どうなることやら…。僕は、『その人』を世界で最も敬愛し、影響を受け、そして、最も近くにいたと自負しております。俳優という表現者として、劇作家・演出家・プロデューサーという創作者として、自分が感じたことを気ままに綴り始めようと思います。

『僕が見ていた石ノ森章太郎を―。』


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